ロケーション
静かで落ち着いてWi-Fiあって飲み物もある。
そんな環境で勉強してますが、早くお家に帰りたくなるのは仕方ないですね(笑)
これほど、恵まれていても私は楽な方に行けることを許せるようになった(許せるようになっただけでOKは出していない)ので前と変わったなぁとブラックコーヒー飲みながらしみじみ思います。
学生時代は何かに追われるように必死で教員を目指すために動いていました。周りの人たちは学生生活を謳歌している中、1年生の前期からフリースクールと近隣の小学校のボランティアに行き、周りの人とは違うのだと
きっと変な優越感に浸りながら、動いていました。その優越感も自分は教員に向いていないと思っている劣等感の裏返しだったのでしょう。
そんな変な優越感に縋るくらい私には自信がなかったのです。
大学生のときはいろいろあったのですけれど、ここでは省略します(笑)
彼女の策略により村八分ならぬ大学八分にされそうになったり、新入生のオリエンテーションスタッフになってトラブルに巻き込まれたり、大学の裏で先輩から学園祭の実行委員長を任命されたり、たりたりたりと話題に事欠きません(笑)
一番濃かったんじゃないかなーと
私は、常に過去より現状が一番楽しい思考の人間なので
たのしかったなぁーはあっても戻りたいなぁは考えたことないのですよね。
現状に満足はしないのですけど、常に変化は続けていたいし
昨日よりマシなものになりたいなという感じです。
生きているといろんなことに気付かされます。
大切なのは何があったのではなく、その事実を自分の中でどう捉えるか。
その中で、自分がどんな人間なのかハッとすることがありますね。
この気づきを言語にしていくことが自己理解につながり、発信していくことでより深めることが出来るのではと思うのです。
自己理解する習慣がつくと、他者を理解しようとすることもできると思います。これはあくまで副産物ですが。
愛着障害について勉強中ですが
知れば知るほど、難しさが染みわたるものですね。
私の働く自治体では、学校で不適応を起こす子の中で愛着障害が疑われるケースが増えてきています。数値だけで困り感を判断してはいけませんが、発達検査の数値にも表れないので、具体策が見出せず大人も子どもも困ってしまっているというのが現状だと言えるでしょう。
学校に対する不適応は、広い意味で捉えると社会への不適応だと思います。
主語が大きいので難しいですが、不適応を起こしてしまっている子たちにどうにかアプローチできないだろうかと考えています。
まだ構想もできていないので、上手くまとまりませんが
教員としてキャリアを積み重ねながら、学校のようなものを作ってみたいなという気持ちはあります。
フリースクールのような場が私の県には少ないので、不適応を起こしている子たちのゴールが「教室へ行けるようにすること」がメインになってしまっていることが多いです。
もちろん、ゴールの1つとしてはありだと思うのですが、子ども達が学ぶ場を選び、その中で自律し保護者だけでなくいろんな人に依存しながら自立していくことがゴールなのではないのかなと
その選択肢を広げていきたいというのが私の人生の中での責務なのかなと思っています。
想いだけでは何も変わらないのでいろんな方に話を聞いたり、調べたりしながらやっていきます。
これも自分のペースでぼちぼちですね☺
ではまた✋