だいこく blog

おだやかにゆるやかにぼちぼちと

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人生備忘録①

 体は小さな子供だった。足早く、背は低かった。0歳から保育園に預けられ、両親は共働きだった。よく体と態度の大きいやつにいじめられて泣いていた。いつも、フォローしてくれた先生は実は妻の上司となっている。

というわけで引っ込み思案な足の速い子だった私は、小学校へ行くようになる。

 小学校に入っても引っ込み思案は治る気配はなく、教室でそれとなく過ごし近くの年が近い友達と遊ぶようにしていた。学年の女ボスである子が近所に住んでいたのだが、その子の顔色を見て行動していたことも多かったなぁと今になって思う。150匹まで集めたポケモンのデータを消されたり、遊戯王のカードをパクられたりされたい放題だった。高学年になっても特に変化はなく、男の友達とプロレスごっこや縄跳び、ハンドベースなんかをして過ごしていた。

 中学校になると、近くの小学校と同じ教室で学ぶことになる。もう一つの学校の子たちはイケイケの人たちが多く、かなり勢いに気圧された。よくある中学校のように飛び出る釘は先輩たちにベランダに呼び出されて叩かれていた(あくまでも言葉でね)。そんなこんなしていると、2年生になり以前仲良かった子と同じクラスになった。しかし、その子は不良少年にジョブチェンジしていたのだ。その子から、いじめを受け不登校にになってしまう。保健室登校になったのだが、そこで同じような境遇の人と出会い、曲がりなりにも充実した日々を過ごすことになる。教室に行けない私たちに、勉強を教えてくれる先生もいた。3年生になると私を含めた3人はそれぞれ違う場所に行くことになる。1人は教室へ、もう一人はフリースクールへ、私は中学校の中にある適応指導教室という怪しげな教室に通うことになる。しかし、その教室の場所は同じ学年の子たちの近くにあり、隔離されている場所とはとても言えなかった。そこで私は、学校に着いて黒板に「早退 だいこく」と自分の名前を書いて、帰ることにした。学校にいる時間は数秒だが欠席は0だった。

 中学校3年生になると受験という大きな壁がやってくる。私は先生に頼らず、自分でワークを買ってもらい、それをやり続けた。内申点は低かったので、私立高校にAO入試(内申点は評価せず、テストの結果のみで合否を決める)を使って受験した。得意だった歴史を受験し、見事特待生になることもできた。このとき、私は「高校野球をしたい」という気持ちだけで受験に取り組んでいた。自主トレをしながら体を大きくするために牛乳を飲み続け、激太りしていくことになる。


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 そして、高校へとなるのだがそれはまた次の話。また会いましょう✋。


BUMP OF CHICKEN「天体観測」