そこにあったもの
ふと遠い場所にいる友人から連絡があった。
くだらない話をしながら、「建物や人がいるのは当たり前ではない」ということを話していた。(内容としてはふざけながらだが)
現在、働き方改革で様々な業種が業務の効率化や無駄な業務の削除に励んでいる。私は、教職という仕事は代用可能な部分と不可能な部分あると思っている。
代用可能なのは、校務分掌や授業を進めること
代用不可能なものは、その人が子どもと作る雰囲気や関係性だと思う
休職や辞職をすることが増えている。私自身もそういう選択肢をとったことがある。
やめるときに自分は何もできないと感じることがある、それは間違いだ。
環境や自身の問題によってベストパフォーマンスが出せないときもある。必ず、あなたにも持ち味があるのだ。
その持ち味が、どの環境でどう生かせされるのかそれを試していかなくてはいけない。私は、何度も教職の道を遠のけたが最終的に一番心が燃えることができたのは教員という道だった。一度しかない人生なので試しながらガチャを引いていくイメージでよいと思う。ここだと思うものを見つけたらそれを飽きるまでやってみるとよい。
苦しむことが幸せとは思わないが、新しい道をこの世界に作るために再び私は歩いていきたい。